祇をんまり菊 GION MARIKIKU


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京都の花街

伝統美を今に伝える花街

京都には現在、上七軒(かみしちけん)・祇園甲部(ぎおんこうぶ)・祇園東(ぎおんひがし)・先斗町(ぽんとちょう)・宮川町(みやがわちょう)の5つの花街があります(50音順)。
京都では花街のことを「かがい」と読み、300年を超える長い歴史を持っています。
また、それぞれの花街には踊りの興行があり、一般の方も舞妓・芸妓の優美な舞を楽しむことができる京の風物詩となっています。

各花街の踊りと歌舞練場

上七軒:北野をどり(4月・上七軒歌舞練場)

上七軒は京都市上京区・北野天満宮の門前町を発祥とする京都最古の花街です。
室町時代、焼失した北野天満宮を再建した際に残った資材を使って、7軒の茶屋が建てられたのが名前の由来となっています。
毎年4月、上七軒歌舞練場で北野をどりが披露されるほか、夏にはビアガーデンも出店し、舞妓・芸妓が冷たいビールを振る舞います。

祇園甲部:都をどり(4月・祇園甲部歌舞練場)

祇園甲部は八坂神社の門前で開けた日本最大の花街です。
京都市内も開発が進み、祇園地域でも昔ながらの茶屋が姿を消し、バーやラウンジ、スナックなどに変わっていきました。
しかし、祇園甲部は八坂女紅場学園が大半の土地を所有していたために開発を免れ、現在でも昔ながらの風情ある町並みを残しています。
毎年4月に行われる都をどりは、海外でもその名を知られています。t

祇園東:祇園をどり(11月・祇園会館)

祇園東も祇園甲部と同じく、八坂神社の門前で開けた花街です。
名前でも分かるように、もともとは祇園甲部とともに「祇園」として隆盛を極めた街ですが、明治時代に甲部と乙部に分かれ、終戦後、乙部から「祇園東」へと名を変えました。
街の開発が進むとともに舞妓・芸妓の数が減少しているのは残念ですが、5つの花街で唯一秋(毎年11月)に行われる祇園をどりには、たくさんの観光客が集まり賑わいを見せます。

先斗町:鴨川をどり(5月・先斗町歌舞練場)

祇園から鴨川を渡ってすぐの細い通りにある街で、祇園に次いで有名な花街です。
狭い路地にある情緒豊かな町並みは健在ですが、近年は若者で賑わい、また、ひと筋西側にある木屋町通りの開発と治安悪化で、町並みの維持が問題となっています。
ちなみに「先斗町」という正式な町名は存在せず、その語源は「先」を意味する英語のポイントやポルトガル語のポントと言われています。
毎年5月に行われる鴨川をどりは京の初夏の風物詩となっており、チャップリンも絶賛したという逸話も残っています。

宮川町:京おどり(4月・宮川町歌舞練場)

宮川町は、出雲・阿国の歌舞伎踊りの小屋や茶屋が発祥とされる花街で、祇園の南側、京都市東山区・宮川筋2丁目から6丁目あたりにある花街です。
最初は舞妓ではなく、若衆歌舞伎の少年が接待していましたが、その後形態を変えて現在は舞妓・芸妓だけの花街となりました。
舞妓・芸妓の数は祇園甲部に次ぐ規模を誇ります。
毎年4月に行われる京おどりは、他の花街の公演と違い「おどり」と表記されています。

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